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機関紙るうてる

るうてる 2017年4月号

説教「わが喜び、わが望み」

機関紙PDF

前日本福音ルーテル唐津教会・小城教会牧師  箱田清美

「主の家にわたしは帰り、生涯そこにとどまるであろう。」(詩編23・6)

ルーテル教会の仲間に加えていただき、ルーテル教会を通じて福音の何たるかに触れ、牧師としてそれを語ってきました。ついに、引退の日を迎えました。ただまだ道半ばという気分でいます。大した働きもない者でしたが、感謝の言葉としてこの文章を送ります。
 京都で法学の学徒でいたころ、岸井敏師の牧しておられた教会に導かれました。大学まで身をおいても、何か生きることの本質にまだ触れていないという気がしていたわが身にとって、それは狭き門より入るような感じでした。この世界に触れてみて、そして実際に生きてみて、感謝をしています。
 最後の説教として詩編23編を選びました。この詩人は、生涯の中で苦しいときを過ごしたことが多々あったのでしょう。「死の陰の谷を行くときも」と言い、「わたしを苦しめる者を前にしても」と言う。前途に光を見出せない日々を過ごしたこともあったのだろうか。しかし、この詩人は、「主」という神を、わが牧者として見出し得たときに、変貌をします。自分の生涯の喜びをただ一つ挙げるとすれば、「主」を「牧者(「羊飼い」と言っています)」として見出したことにあるというのです。 この詩人がそれまでどのような人生の模索をしてきたかは分かりませんが、「主」を命の導き手として信頼して生きていけると確信したことから湧き上がる喜びが、この詩全体を覆っています。
 わたしたちのそれぞれの人生には、喜びもあり苦悩もあり、山あり谷ありですが、特に先に希望を見出し得ないとき、「わが助けはいずかたより来るや」と煩悶したくもなります。しかし、「主」が導き手であることを確信できたとき、詩人は「わたしには何も欠けることがない」と言うのです。もうその時、この詩人には人の世にある、通常の憂いの陰はどこにもありません。
 この詩人も、人間として通常の生活をしているはずですから、それがないはずはないのですが、「主」に従う生活の喜びの中では、それは自分にはなんの陰でもないと言うのです。これはこの詩人の人生の実感だったでしょう。
 今日の人の世は、専門家となった社会人の世ですから、互いにエゴが渦巻き、エゴとエゴの衝突は絶えず起こります。現代のように能力主義がひどくなり、自己の権利を自分で主張していくことが強くなると、みんな時間に追われる社会になります。 教会にはそれに疲れた人が癒しを求めて集まることもしばしばです。みんな疲れているので、許し合うという教会の交わりの本質を構成している、「聖徒の交わり」が揺らぐことさえ出て来ます。正直受け止めきれなかったことも、しばしばであったことを告白しなければなりません。
 この詩人は、主を牧者として生き、主が共にいてくださったという確信において、「わたしには、(人生において)何も欠けることがな」かったと断言するのです。信仰者の日々の生活を、これ程に率直に感謝するこの詩人は、どんなに満ちたりた生涯を過ごしただろうか。
 23編は旧約の詩人ですが、新約ではイエス・キリストを「主」と呼ぶようになりました。十字架の死に至るまで、父なる神に従順であったナザレのイエスというお方を、使徒たちがそのように呼ぶようになったのです。 初代教会の人々の信仰の息吹が、この用語変化のなかに現れています。聖書とは、そのような信仰者の霊的息使いを読み取ることによってしか、わたしたちに語りかけて来てくれません。教義ではないのです。
 わたしがそのように聖書を読みとっているかというと、まだ道半ばですが、宗教改革500年祭とは宗教改革そのものに帰ることではなく、宗教改革を起こした初代教会の信仰者の霊的息使いを読み込むことにもあるのではないだろうか。初代教会の信仰の遺産が聖書ですから、それは「聖書のみ」ということでもありましょう。
 詩人は、この詩を「主の家にわたしは帰り、生涯そこにとどまる」と結びました。
 退職後何をしますか?とよく聞かれるのですが、この詩人の締めをもってそれへの応えとし、ルーテル教会で牧師として職にありましたことを、感謝して筆を置きます。

連載コラムenchu

  

14【 shadow 】

 昨年の10月にデンマークで開かれたハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞の授賞式で、村上春樹さんは、アンデルセンの小説『影』を取り上げながら、自らの「影」と向き合うことの重要性について語りました。全文を紹介したいところですが字数の関係で少しだけ…。
 『(略)影と向き合わなければならないのは、ひとりひとりの個人だけではありません。社会や国家もまた、影と向き合わなければなりません。すべての人に影があるのと同じように、すべての社会や国家にもまた、影があります。明るく輝く面があれば、そのぶん暗い面も絶対に存在します。(略)影を生み出さない光は、本物の光ではありません。どんなに高い壁を築いて侵入者が入ってこないようにしても、どんなに厳しく異端を排除しようとしても、どんなに自分の都合のいいように歴史を書き換えようとしても、そういうことをしていたら結局は私たち自身を傷つけ、滅ぼすことになります。影とともに生きることを辛抱強く学ばなければいけません。自分の内に棲む闇を注意深く観察しなくてはなりません』。
 ところで、「アロンの祝福」の中に次の言葉があります。「主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように」(民数記6 25)。私たちを照らす光が本物の光であるならば、そこに、私たち自身の影があらわれるのでしょう。私たちは、その影と向き合い、受け入れ、共に歩んでいかなければいけないのだと思います。そこに恵みが与えられるという祝福を胸に抱いて。
 さて、村上さんの新刊を読もう。   
( 門司教会、 八幡教会、 佐賀教会、小城教会牧師)  岩切雄太

【連続講演会】

(全9回)。参加無料

「宗教改革500年~ルター、その光と影」

日本福音ルーテル教会 東教区東教区宣教ビジョンセンター 共催
時間 16:30~18:00 会場 日本福音ルーテル小石川教会?

■3月13日 
 ①宗教改革500年とは何か(江口再起)
■4月10日
 ②キリスト教信仰のルター的骨格(鈴木 浩)
■5月 8日 
③ルターとエキュメニズムの前進(石居基夫)
■6月12日
 ④「二王国論」とは何か(江口再起)
■7月10日 
 ⑤ルターのユダヤ人問題(立山忠浩)
■9月11日 
 ⑥北欧ディアコニアのルター的水脈
  (江藤直純)
■10月16日 
 ⑦ルターと公共世界(宮本 新)
■11月13日 
 ⑧ルターと農民戦争(高井保雄)
■ 12月未定 ⑨ まとめ ※すべて月曜日

議長室から

 

「神様の方からの声 」総会議長 立山忠浩

 個人的なことですが、2年前に還暦を過ぎました。日本人の平均的寿命からすれば、いま8合目あたりに立っていることになります。また、牧師に召されて32年が過ぎました。定年を10合目の頂とすれば、これまた8合目に到達したことになります。山登りに例えれば、人生おいても、牧師に召されてからの年月においても、自分が何合目にいるのかで見える光景が異なるように思いますので、いまは8合目からの眺めをここで書かせていただいているのであり、また、この機関紙「るうてる」の一読者として、このような視点で読ませてもいただくのです。
 3月号では退職される牧師たちの声に、10合目に到達したからこそ言える感謝と後進たちへの重みのある言葉を感じ、4月号では、これから登り始める山を見つめ、目標に向かって邁進しようとする新鮮で、力強い声に力づけられるのです。牧師たちの説教、コラムなど様々な中堅牧師や信徒の声からも多くのことを学んでいます。新しい知識を得るだけでなく、私と同じものを見ていながら、異なるところに立って見えていることを教えてもらえるからです。
 このことは他教派や他のルーテル教会、さらに広げれば他宗教や様々な思想にも敷衍できることでしょう。今年はいくつかの他教会との合同礼拝を予定しています。互いに異なる歴史や教理を持っているわけですが、それらはそれぞれのところで見て来たものの結晶なのです。学ぶことはきっとたくさんあるのです。このことは聖書についてはなおさら言えることです。
 いま私たちは四旬節を送っています。十字架を主題にした絵画を鑑賞することがありますが、フランス人画家のサルバドール・ダリの描いた十字架は実に印象的です。通常は人々の目線から十字架を描くのですが、彼の場合には十字架の上から見える光景となるのです。主イエスの顔や全体の姿ではなく、頭を垂れたイエスの頭の上から見える十字架がモチーフになっているのです。
 聖書は、神様の方からの視点で書かれているのです。「十字架の神学」を標榜するルーテル教会は、なおさら十字架の方から聞こえて来る声を敏感に聞くのです。自分の苦しみだけでなく、この世の苦悩や悲しみを一身に背負う苦痛の声。愚かな私たちの罪のためのとりなしの声。外からの真摯な声に耳を澄ますことを大切にしたいものです。

宗教改革500年に向けて、ルタ―の意味を改めて考える59

   ルター研究所所長 鈴木浩

 ここで宗教改革の発端となった『95箇条の提題』を見てみよう。それは95個の箇条書きからなっている1枚の大きなビラで、それが掲示されたヴィッテンベルクの「城教会」のドアには現在、その全文が刻印されている。
 『95箇条』は、「私たちの主であり師であるイエス・キリストが『悔い改めよ』と言われたとき、主は信じる者の全生涯が悔い改めであることを望みたもうたのである」という第1箇条から始まっている。「悔い改めよ」という言葉は、ラテン語で「ペニテンティアム・アギテ」となっている。
 もともとそれは「悔い改めよ」という意味であったのだが、中世の「七つの秘跡」(洗礼、堅信、結婚、叙解、聖体拝領、告解、終油)という体系が出来上がると、「ペニテンティアム・アギテ」は「告解(ざんげ)を行え」という意味で受け取られるようになった。
 ルターは第1箇条で「ペニテンティアム・アギテ」という言葉の本来の意味を回復しようとしたのである。だから、続く第2箇条は、「この言葉はサクラメントとしての改悛(すなわち、司祭の職務によって執行される告解と償罪)についてのものであると解することはできない」となっている。
 ルターの行ったことの相当部分は、「本来の意味やあり方を回復する」ということであった。ギリシャ語の聖書本文をドイツ語に翻訳したことも、その一環であったし、教会組織の改変もそうであった。
 『95箇条』は、当時人々が競って購入していた「贖宥状」(いわゆる免罪符)を攻撃することに目的があった。贖宥状は、「罪の償い」を不要にする「おふだ」であった。『95箇条』がドイツであっという間に広まったのは、一般民衆も贖宥状の問題に関心を抱いていたからである。

2017年度 日本福音ルーテル教会人事〔敬称略/50音順〕

○退職
 (2017年3月31日付)
・市原正幸(定年引退)
・箱田清美(定年引退)
・長岡立一郎(定年引退)

○新任
・奈良部恒平
・中島和喜

○人事異動
 (2017年4月1日付)
【北海道特別教区】
・岡田 薫  
 帯広教会(主任)
・中島和喜  
 札幌教会(副牧師)、
 恵み野教会(副牧師)
・日笠山吉之 
 恵み野教会(主任・兼任)

【東教区】
・?野昌博  
 横浜教会(主任・兼任)、 横須賀教会(主任・兼任)

【東海教区】
・齋藤幸二  
 沼津教会(主任・兼任)
・奈良部恒平 
 復活教会(主任)、
 高蔵寺教会(主任)
・室原康志  
 挙母教会(主任)

【西教区】
・加納寛之  
 岡山教会(主任)、
 松江教会(主任)、
 高松教会 (主任)
・鈴木英夫 
 西条教会(主任)
・松本義宣  
 西宮教会(主任・兼任)
・秋山 仁  
 豊中教会(主任)、
 喜望の家(兼務)

【九州教区】
・小泉 基  
 唐津教会(主任・兼任)
・岩切雄太  
 小城教会(主任・兼任)
・中村朝美  
 宮崎教会(主任)      
○待機
・山田浩己 

○休職(継続)
・後藤由起 

▽宣教師
【LEAF信徒宣教師】
・ミルヤム・ハリュユ  東教区付
 (2016年12月1日付)

【J3宣教師新任】
(2017年4月1日付)
・エマ・ネルソン    ルーテル学院中学・高校
・ランダル・タレント  九州学院 

▽宣教師退任
【長期宣教師退任】
 (2017年3月31日付)
・ティモシー・マッケンジー ルーテル学院大学・日 本ルーテル神学校

【J3宣教師退任】
 (2017年3月31日付)
・ザック・コービン   九州学院
・ディーン・ホルツ   ルーテル学院中学・高校

○その他
▽牧会委嘱
 (2017年4月1日付 1年間)
・明比輝代彦 
    掛川・菊川教会
・乾 和雄 西宮教会
・北尾一郎 横浜教会
・鷲見達也 横須賀教会
・中村圭助 復活教会
・渡邉 進 沼津教会
・藤井邦夫 宇部教会
・白髭 義 甘木教会
・ 内海 望 津田沼教会

お知らせ

 日本福音ルーテル教会と日本カトリック司教協議会とが共同主催し、「宗教改革500年共同記念 ~平和を実現するものは幸い~」が2017年11月23日(木)10時~15時、カトリック浦上教会にて開催されます。ご参加に際して、入場整理券が必要となります。お申込みはインターネットで受付けます。
http://500peace.jelcs.net/

日本福音ルーテル教会九州教区 熊本地震救援対策本部活動報告

 日本福音ルーテル教会九州教区 救援対策本部 岩切雄太・ 小泉 基

熊本地震の2度の大きな揺れ(2016年4月14日・16日)は、被災住宅18万棟以上という甚大な被害をもたらしました。202名(2月14日現在)の尊い命が奪われ、県下で4万人以上の方々が、現在も仮設住宅やみなし仮設等での不便な仮暮らしを余儀なくされています。
 今回、日本福音ルーテル教会九州教区救援対策本部(以下「できたしこルーテル」)の1年間の活動報告にあたり、今なお悲しみのうちにある方々が一日も早く癒されることを、また困難な生活を余儀なくされている方々が一日も早く安心した生活を送られることを祈ります。
 また、被災地である熊本に寄せられました皆さまからの厚いご支援に、心より感謝いたします。
 2017年2月末現在の熊本地震支援募金は3624万534円で、その内訳は、生活支援451万7848円、建築支援3172万2686円となっています。
 これまでの活動を振り返り、以下、時系列にそって報告します。

第1期:緊急支援

(2016年4月14日~4月20日)
①地震直後から九州全域の被災状況の確認を行い、被害の大きかった熊本市内を中心に支援活動を開始。
②熊本市内のルーテル教会・施設から求められた緊急支援物資を北部九州等で購入し運搬(5便)。
③日本福音ルーテル教会と協議し、現地救援対策本部(「できたしこルーテル」)を組織(4月17日)。
④熊本市内のルーテル教会(5教会)、ルーテルの学校(2学校)・幼稚園保育園(7園)・社会福祉法人(2法人)との情報共有。
⑤国際協力NGOわかちあいプロジェクト/認定NPO法人チャイルド・ファンド・ジャパンと連携して行う生活支援について協議。

第2期:広安愛児園・こどもL.E.C.センター内避難所/健軍教会避難所支援(4月21日~6月30日)

①広安愛児園・こどもL.E.C.センター内避難所(最大400名)/健軍教会避難所(最大50名)。
②わかちあいプロジェクトの専従スタッフ(牧野孝さん4月24日~、東ゆきみさん6月1日~)と恊働(編集注・心を合わせて共に働く)し、広安愛児園・こどもL.E.C.センター内避難所にカフェを設置し、副菜の提供を行ったほか、避難者の相談に対応。
③罹災証明書(災害義援金)の申請手続き同行支援/自宅の片づけ・仮設住宅等への引越支援。
④全国のルーテル教会関係に片付け支援のための物資の呼びかけを行う。
⑤ボランティアを受け入れ、上記避難所及びルーテル教会関係者の片づけ支援等を行う。
※5月・126名/6月・64名(延べ人数・救援対策本部メンバー含む)

第3期:片づけ支援等

(7月1日~8月31日)
①広安愛児園・こどもL.E.C.センターに設置させていただいたプレハブを拠点にし、わかちあいプロジェクトと恊働して、益城を中心に瓦礫撤去等の片付け支援を展開。
※7月・50名/8月・35名(5月~8月の延べ人数は275名)。
②チャイルド・ファンド・ジャパンによる小冊子「被災地の親と子どもの心のケア」(熊本県内500園の約5万世帯に配布)の製作に、、熊本ルーテル幼保連と連携して協力。
③熊本のルーテル教会の建物修復に関する(費用等)聞き取りを行い、熊本地震支援募金の建築支援(第1期分:1821万6163円)の配分を決定。
 以上、主な活動について報告したが、ここに記した活動以外にも、現地である熊本のルーテル教会・ルーテル幼保・九州学院/九州ルーテル学院・社会福祉法人(慈愛園/キリスト教児童福祉会)が、震災直後から様々な支援活動を展開なさり、また現在も継続しておられます。[岩切記]

第4期:被災障がい者支援(9月以降)

 益城町での片付け支援などの事業が終了していった後の、第4期の働きをどうしていくのか、いくつかの選択肢があるなかで、「できたしこルーテル」が取り組むことにしたのは、被災地において特に困難な状況にある被災障がい者の支援でした。熊本では、すでに組織されていた「被災地障害者センターくまもと」による先行的な取り組みがありましたが、日々寄せられる支援要請に充分に応えきれないという困難な状況がありました。
 そこでわたしたちは、健軍教会に避難者として一時身を寄せておられた大山直美さんを雇用して、専従ボランティアとして同センターに派遣する、という取り組みを始めました。
 センターには、日本障害フォーラムに参加する障がい者施設から1週間程を単位に組織的にボランティアが派遣されていましたが、熊本の地理がわかり、継続して事務局機能を担うことの出来る大山さんは、程なくセンターの中心的な役割を担うようになられました。
 被災地における障がい者の生活は、避難所で列に並べないために支援物資を受け取れない。車イスで入ることのできる仮設住宅がない(後にバリアフリー仮設住宅を6戸のみ建設)、などの理由で、健常者の避難者とは比べものにならない多様な苦労があります。
 そのため避難所や仮設住宅に入れずに、家族と、あるいは単身で、危険な半壊住宅での生活を続けざるをえない、といった難しい状況に陥りがちなのです。
 そんな中、特に大山さんの働きが始まった9月以降に支援の要請が多かったのは、精神障がいの方の生活再建の課題でした。精神障がいの方々は、他者との人間関係づくりが難しいこともあって、地域の中で孤立しがちで、、見た目に障がいがあるとは判りにくいため、さまざまな支援からも見過ごされがちなのです。大山さんも、事務局の働きをこなしながら積極的に現場にもかかわり、役場への同行、不動産屋廻りから、家の片付け、引越の荷物運びなどにも汗を流してくださっています。
 また、ルーテル教会からも、「できたしこルーテル」のメンバーや九州教区内の信徒さんなど、ボランティアとしてセンターに関わってくださる方がおられることは心強いことです。
 なお、センターへの大山さんの派遣はまもなく終了しますが、今後も大山さんはセンターの事務局員として働かれる予定です。
 被災地では、まもなく震災から1年を迎えようとしています。市内を車で走っても、もはや被災地であることを感じにくくなりつつあります。
 しかし、益城や阿蘇へと目を移せば、あちこちに空き地が広がりつつあるのに、2月現在で公費解体がすんだ家屋はまだ5割に届きません。また建築費用の高騰などから家屋の補修や改築もままならず、仮設で暮らしながら生活再建の見通しの立たない方々、こまやかな支援を必要とされる「災害弱者」の方々が大勢おられるのです。
 また、仮設団地やみなし仮設に入居して、地域から切り離されてしまった方々の心のケアも、大きな課題となっています。
 熊本も、これから長い「震災後」の生活を生きていきます。しかし、ここにこそ教会の役割があると信じますから、どうぞ息の長い、多様な支援と見守りをお願い致します。[小泉記]

「カトリックとルーテルの共同声明」に学ぶ 1

  石居基夫(日本ルーテル神学校校長)

2016年10月31日、スウェーデンのルンドにて行われたローマ・カトリック教会(以後カトリック教会)とルーテル世界連盟(LWF)の「共同の祈り」の礼拝において、2017年の宗教改革500年を共同で覚えるに当たっての声明文が公にされた。この声明はフランシスコ教皇とユナンLWF議長が署名をして発表されたのだ。少しずつ、この声明文を読んで学んでみよう。
 はじめに、この記念礼拝でのテキストとされたヨハネ福音書が記される。

【本文から】

「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」(ヨハネによる福音書15・4)

【学び】

 みことばを記すことにはじまる声明。みことばによってこそ導かれるという基本的な姿勢を示しているといってよいだろう。これは、この宗教改革500年の記念ということに留まらず、近年のエキュメニカルな交わりの基本を示している。それぞれの教会の神学的な主張からはじまるのではなく、伝統に縛られるのではなく、みことばによってこそ導かれるべきなのだという意味を示している。
 さて、このヨハネ15章のみことばが示されることで、カトリック教会とルーテル教会とが、互いを等しくキリストに結ばれ、キリストに生かされて豊かな実を結ぶものであるよう主に呼びかけられている存在として認め合っていることが示されている。
 当然のことのように思われるかもしれないが、決してそうではない。宗教改革者マルティン・ルターはカトリック陣営と論争した末に自説を撤回することのなかったために断罪された。その信仰に連なるルーテル教会はもちろん、カトリック教会からたもとを分かつこととなったプロテスタント教会は、カトリックから見れば教会として認められない異端とされてきたわけだ。
 逆にルターをはじめプロテスタント教会は、聖書に基づく福音主義を掲げて、カトリック陣営、特に聖書の解釈の正当性を独占するような教皇主義を徹底的に攻撃した。中世から近代へと移り変わる歴史の中で、両方の勢力は政治的な意味での対立と重なり西欧世界においては争いと対立が繰り返されてきた。
 この対立関係は、近代国家の成立の歴史とともに比較的穏やかになっていくけれども、基本は変わらない。そうした関係を決定的に変えたのが、カトリック教会の大転換だったと言ってよいだろう。1962年から65年まで開かれた第二バチカン公会議は、カトリックのみならず世界のキリスト教会に大きな影響を与える会議となった。カトリック教会は、この4年にわたる公会議で、現代世界のなかに新しい教会の姿を求めて大きく舵を切ったのだ。
 その中で、1964年にエキュメニズム教令を公にしてプロテスタント教会にも真理が示されていることを否定しないこととなった。難しく言うとカトリック教会の包括主義的な立場(最終的に救いについての確かな真理があるのはカトリック教会の他にはないのだけれども、部分的には他の場所においても神の普遍的真理を示すものがあることを否定せず、それを認めていこうということ)を示している。しかし、実質的に大切なことは、中世の時のようにルーテル教会を「断罪する」という考えを改めて、兄弟としての教会と認めていく可能性を示したということだ。
 そこからはじまる対話の歴史こそ、みことばによって導かれたものだ。その歴史があって、カトリックの立場からも、ルーテル教会が確かにキリストに連なるものと認められるようになったといってよいのだろう。
 ルーテル側からすれば、はじめから一つの教会を飛び出すことが目的の改革の呼びかけであったわけでもなく、こうした積み重ねられる対話によって、福音が明らかに示されていく教会の本来の姿として示されていく道筋にカトリック教会も立っていると認められることだっただろう。
 一つのキリストに連なる枝、互いに違いを認めつつ、その働きを尊重し、世界に向かって福音を示していくキリストの体としての教会を、教派を超えて連なり、ますます宣教の働きを担うものとなっていくように、みことばが招いているのだ。
 だからこそ、今、改めてこのみことばに聞くことが示されている。教会はたとえ教派が異なっても、キリストに連なるものとして認め合えることが何よりも大切なのだ。

新任教師あいさつ

中島和喜(なかじま かずき)

(日本福音ルーテル札幌教会・恵み野教会)
 この度、日本福音ルーテル教会に任用されました中島和喜です。任地は北海道特別教区の札幌教会(札幌市)と恵み野教会(恵庭市)になりました。生まれ故郷である北海道が牧師として歩む最初の任地として示されたことを嬉しく思います。教会が受け入れてくださったこと、そして何よりもその場所に召し出してくださった神様に感謝し、キリストがもたらす平和の実現のため一所懸命にやっていきたいと思います。
 現在私は26歳ですので、最初の数年は恐らく最年少牧師として過ごすことになります。知識も経験も不足していますが、若さを生かして北海道の広い大地に福音を届けるため元気一杯に駆け回っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。

奈良部恒平(ならぶ こうへい)

(日本福音ルーテル高蔵寺教会・復活教会)
主の尊い御名を讃美いたします。
 4月1日をもちまして、復活教会(名古屋市)と高蔵寺教会(春日井市)へと赴任することになりました、奈良部恒平でございます。妻と2人の子どもたちを連れて、愛知県に到着いたしました。
 神様の助けによって御言葉の働きに、誠心誠意、励んで行く所存であります。つきましては、牧師がよい説教者―忠実な説教者―であるようにお祈りくださいますよう、お願い申し上げます。
 日本福音ルーテル教会の皆様及び読者の方々に、主の豊かな御祝福と恵みがありますように祈願いたします。お近くへお越しの際は、ぜひ教会にお立ち寄りください。皆様のお越しを教会員一同、心からお待ちしております。 在主

J3新任あいさつ

ランダル・タレント

はじめまして。私はタレント・ランダルです。今年の4月から九州学院で英語を教えています。また熊本の教会のコミュニティにも加わりました。私の仕事は英語を教えることだけではありません。日本福音ルーテル教会(JELC)とアメリカ福音ルーテル教会(ELCA)にはすでにパートナー関係がありますが、JELCとELCAのメンバー同士はなかなか会うことはできません。ELCAのJ3プログラムは、JELCのコミュニティの中で世界のクリスチャンとの仲間づくりをしています。ですから私は日本福音ルーテル教会でクリスチャンの友情を作りたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

エマ・ネルソン

 熊本から、はじめまして! エマ・ネルソンといいます。4月より、ルーテル学院中学高等学校で英語の教師の仕事に就任します。英語以外は、神水教会の牧師や会員と共に働き、色々なバイブルスタディーを担当します。熊本のコミュニティに参加するのを楽しみにしています。出身のフロリダ州の教会員たちも日本の人や文化について学びたいと願っているので、私は日本にいるうちにたくさんの手紙を書いたり、写真やビデオを撮ったりして送りたいと思います。もしこの二つの教会が一緒に礼拝をすることができたら、すばらしいと思います。日本に来てとても嬉しく、この2年間を楽しみにしています。

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